表現の自由とはとても近代的な概念だ。「理性とは、それだけでは外部に影響することもないし、外部から影響されることもない。現実から切り離されている概念だ」という近代の公理から、表現の自由は導き出されている。ところが現在では、高度な情報化(ex. Bitcoin, SNS, …)により、ただの計算という理性的で儀式的な動作が現実を改変しうるほどの力を持つ。DeCSSの時も同じような議論があったが、こうなってくると、儀式がただの表現や文ではなく、実際に現実を改変しうるほどの力をもつ呪術となる。だから、国家権力は「ただの思考」「ただの意見」「ただの計算」「ただのプログラム」を規制しなけらばいけないという事実と、近代の公理との葛藤に悩まされることになるのだ。