多細胞生物になることで、「万人の万人に対する隷属」と同じ話で、逆説的にもとの個体にとっては「負け」になってしまった。
細胞同士が集まって生きることを選んだ結果、目的が個体(=細胞)の存続ではなく、集合体の存続となってしまった。集合体が存続するためならば、自殺すら厭わない。そのように進化してしまった。いったい、一日に何個の細胞が交換されている?まるで社会にこれ以上益をなさないとされた人間が、自動的に置換されるように。
同じような話として、本来は岩石環境に適応するための生物だったのが、生命体が増えて土壌が形成されることで、生態系に適応することを目的にしてしまった、というものもある。
このように生命というものは、微分方程式のような様相を見せている。生きることに「目的」を見いだすこと自体、ある意味ナンセンスなのかも知れない。
果たして我々は「勝ち」なのか、それとも「負け」なのか?「人類に貢献する」といえば聞こえはいいが、我々はより上位の個体を存続させるための、使い捨ての細胞に過ぎないのではないだろうか?
なんちって.