仮にブロックチェーンのスマートコントラクトにゼロ知識証明が実装され、それが広く用いられたとき…一つ起こりうる大問題は、脆弱性を解析することが難しくなりそうだということである。仮にプログラムがハックされ巨額の資金が流出したとしても、それを察知したり、attack vectorを探り出すことが難しくなるかもしれない。そうなった時、果たしてエージェントの善意ではなく損得勘定で考えた時に、プラットフォームがうまく回っていくことができるのだろうか?多少ロマン主義的に考えるのならば、仮にattack vectorなど脆弱性の詳細を攻撃者が公開しなかった場合、プラットフォームの脆弱性を修正することが難しくなり、通貨の価値が毀損される。それを避けるために、攻撃者は脆弱性の詳細を公開するのではないか、ということである。このような論理は、Fryの指摘するような批評理論における根本的な問題ーーJamesonのロマン主義とFoucaultやButlerの悲観ーーを考える上で応用できるのではないだろうか。
参考文献: Paul H. Fry, Theory of Literature. New Haven : Yale University Press, 2012.
https://yalebooks.yale.edu/book/9780300180831/theory-literature