最近巷で話題のやつ。特に何も話したいとかはないのだけれど。
「言葉を消費されて 「正義」に依存し個を捨てるリベラル 星野智幸」
https://digital.asahi.com/sp/articles/ASS8V026WS8VUPQJ006M.html
こういう漠然とした感じの、なんとなく言いたいことはわかるけど、よくわからないような文章というのは、否定しても肯定しても反論してもあんまり実にならない1ので、何も反応しないのがベストだとは思う。一向一揆とか、戦国時代とかの昔からあるカルト的な思考様式の話をしたいのか(それがリベラリズムとどう接合するのか不明だが)、深い洞察を期待してたのに着地点が残念な感じで裏切られた気持ちになるある種の漫画とかアニメとかにありがちなチープな正義論みたいなことを言いたいのか、「強い人間」であることを事前に要求するような社会運動への批判なのか、判然としない。以下、あえて何かを発言するならばということで、この文章とは直接的には関係ない雑念を記す。
そもそもの話、民主主義であったり、人権の状況に目を向けるというのは、憲法の前文にもあるとおり国民の義務だし、それ以前に人間としての義務。それ以上でも、それ以下でもない。そういった活動は、まぁ一定の疲れと言うものを伴うのかもしれないけど、それは人間として当然に甘受すべき苦しみなので、、
まぁとは言え、疲れの問題は今まであまり議論されてこなかったし、疲れというものをどうするか、これは重要な論点で、「強い人間」であることを事前に要求するような社会運動には限界もあるけども、、思想からずっと、疲れとか累積的なものが排除されてきたのは問題と思うし、でもじゃあ自己啓発みたいな思想でいいのかっていうと違うし。思想的アイデアというものは、一個の論として立っていることが要求されるけども、そうじゃなくて、人生と同じように
ともあれみんな、文学が足りてないのかも。もっと詩歌を楽しもう。
《自由花》いいよね。フォークソング的にも聞こえるし、革命歌・軍歌のような力強さも感じさせつつ、まさにその前進を感じさせるメロディのさなかに「不想清楚分析太多真心抑意假」のように、強さだけではないemo的な歌詞も入っていて、その後に「夢こそが強さだ」というテーゼが提示される。本当にいろんな領域を縫っていっている曲だと思う。やっぱ幾千年の政治批判の伝統はすごいね。替え歌らしいが、あの原曲にこの歌詞をぶつけるそのマッチングの素晴らしさ。
-
というか、仮になにか論じたとしても、まるで大根餅みたいに、本質的に元の文章との間の関係性が希薄にならざるを得ず、けっきょく最もSNS的なというか、なんかバズりそうなコンテンツに群がってあんまり関係のない話をあれこれいうみたいな構図になってしまうのが嫌。こういうのを大根餅現象と名付けよう。大根餅は美味しいからいいけどね。 ↩︎