民主主義終末論者に捧ぐ

民主主義の未来 優位性後退、崩壊の瀬戸際に 成田 悠輔 客員研究員
https://www.rieti.go.jp/jp/papers/contribution/narita-yusuke/04.html より:

“ウイルス感染やIT(情報技術)ビジネスの成長、ウェブ上の情報拡散など、21世紀の主成分には共通点がある。常人の直感を超えた速度と規模で反応が爆発することだ。そこでは爆発が起きる前に、徹底的な投資や対策で一時的に強烈な痛みを引き受けられるかどうかが成功の鍵になる。 超人的な速さと大きさで解決すべき課題が爆発する世界では、常人の日常感覚(=世論)に配慮しなければならない民主主義は科学独裁・知的専制に敗北するしかないのかもしれない。世界の半分が民主主義という政治的税金を金と命で払わされているかのようだ。”

仮になにか民主主義に理由があるとするのであれば、逆だとおもう。インターネットを含む、“常人の直感を超えた速度と規模で反応が爆発する"現象たちによって、人々は極論的で役に立たない思考様式をどんどん加速させてしまうことになった(バズワードやショック作用的印象第一主義など…印象主義の権化であるパワーポイントによって航空機の大事故が発生したのではないかという議論もあったか…それならばノブレスオブリージュ的なものに安全や能率を期待する縁故主義のほうがよっぽど良いということも言えるかもしれない)。民主主義国家ではそれらを規制検閲(あるいは制御)することがなく野放しにしていたので、その結果として生産性が下がったということではないか。逆に、独裁国家ではそこにある種の緊張感があったために、冷静で理性的な思考が生まれることになったのではないか。問題は、いかにして検閲や独裁などといった手段を使わずに、この緊張感を社会全体に創出するかということであろう。