圏論とは、「ひらめきに自信を持つこと」なのかなあ...

CWM難しいよお……(やっぱり環論とかの基礎知識を身につけてから挑むべきだったかも…)

あるAという性質をもつ存在に対して、Bという性質も持たせたい時に、上手いことその持たせるやり方を思いつく必要がある。しかし、実はそのようなあらゆるやり方には共通項が存在する。それがuniversal arrow(あるいはuniversality)ってことなのかな?よくわからないけど。

偶然、何かをひらめいて真理を発見するとは言っても、それが真理である以上は、事前に定められた必然的なレールの上をなぞっているに過ぎない……研究活動にはオリジナリティという部分もあるにはあるが、一つの対象にみんなでタックルしている以上は、みんなどこかで同じ場所を通っている。

創作活動についても同様のことが言えるだろう。作品を作るとは、すなわち既存の文化体系をハックすることであるから、どこかでそのハックするやり方には共通の何かが存在する。そういう意味では、作品の「オリジナリティ」に注目して、オリジナリティがあるものが真の作品なんだ、と考えるのはどうなのかなあ、とも思えてくる。あるいは私たちがオリジナリティと呼ぶものは、本当はオリジナリティではなく、むしろ数学的な意味でユニークなもの、だれでも一度は必ず通る踏み慣らされた道、オリジナリティとは正反対の、誰でも思いつく(思い付かざるを得ない)全くありきたりなものなのではないだろうか。逆に、本当の意味でのオリジナリティ、つまり作品の中でもそういう集合的無意識みたいなものから外れた部分は、あまり注目されることがなく、見捨てられる運命にあるんじゃないか?

「ユニーク」という言葉には両義性があるなあ。一方ではいままで誰も思いついたことがない、その人だけの発明みたいな意味合いがあるが、数学の世界では全くの逆で、ある問題について、誰がどういう風に考えても、必ず絶対に思い付かなければならない(そうしないと問題が解けない)たった一つの解法みたいな意味合いで使われることが多いと思う。