謙虚な気持ち

新型コロナウィルスに際して、様々な決断がされている。その多くは科学的な知見に基づいてなされているものだと思う。

しかし、。。。。。。科学というのは、「確実には分からないことを、分かった気になろうとする」営為で、

少し前まで真理だと思われたことが、簡単に覆るのが科学の世界。いや、逆にそうだからこそ科学的であると言える。 実際には、人間がどうにかできる範囲は狭い。人間が分かる範囲も狭い。少しでも時間的あるいは空間的広がりを見せた瞬間、予測は不可能になる。

そして人々の間では今、本来は確実には分からないことを、あたかも分かったかの気になることが流行っている。

しかし、本当は人間が確実に分かったり、思った変化を確実に起こせる範囲というのは、実はとても恐ろしいことなのだ。

例えば、「感染症の原因は中国人だ」と決めつけて中国人を強制収容所に入れて大量に処刑することであったり。

例えば、核ミサイルを大量に地球上の都市に放って何億人という死者を出したり。

そのような凄まじいレベルの不可逆的変化をもたらすような決断でないと、到底人間ごときが自然の成り行きを思った通りに変化させることはできないだろう。「ロックダウンするか否か」といったレベルの決断では到底分からない話なのだ。

「語り得ぬこと(上記のような、人の知ることのできる範囲を超えたこと)は語ってはならない」とまでは言わないが、少なくとも今人々がするべきことや、政府がやるべきことについて言及する時には、ちょっとは、人間がいかに小さな存在かという、謙虚な気持ちを持って取り組むべきだ。