新潮2022年2月号 村田沙耶香「平凡な殺意」について

ふと、家にあった(というかタダでもらった)新潮2022年2月号に掲載されていた、村田沙耶香「平凡な殺意」を読んだ。

ここに書かれているほど深刻なものではないにせよ、僕自身の経験ともすこ〜し近い、シンクロするもの(とくにp.137の「嬉しそうに仰っていました」とか…うううフラッシュバックううう)があって、なんとも言えない感情になった。

なんというか、いい人ほど搾取され、苦しめられる世の中の社会構造になっているんじゃないかなあと、おぼろげにというか、素朴にというか、思う。いい人というのはつまり、悪いことや嫌なことを他人にしないようにしようとか、そういう倫理がベースにある人のことで、でもそのことを考えて行動しようとすると、自分を責め立てていく負のループみたいなものに迷い込んでしまった時に、とことん追い詰められてしまう。その倫理観を一時的にでも無効化できる人だったらあまり問題はないのかもしれないが…あるいはこのエッセイの最後の方に書かれている「嬉しそうに仰っていました」という言葉に代表されるような、人間関係におけるある種の「駆け引き」をわきまえるというか、それこそNetflixのドラマ作品のように、小説を読むようにこの世界を捉えるというか、そういうことができるのが「正常」な人間であり、それができなければどんどん悪い精神状態に向かっていってしまう、ということかもしれない。じゃあそういうふうにするのが正解なのか、正しい道なのか?でもそれは、自分が「駆け引き」という共通の了解の世界にダイブすることで、(まだ)その世界にダイブできてない人たちを抑圧する側に回るということなのかもしれない。よくわからない…。