日本において、「呪詛」という言葉は自らの持つ不満を(特にインターネット上で)吐露することで、社会をより良くしよう!と声を上げる人々を馬鹿にし、もってインターネットの持つ革命的性質を挫こうと画策するファシスト共に使われることがある大変厄介なことばである。しかし、同名のネトフリ映画が出た。その映画のテーマの一つがまさにインターネット上で「ネタ」にされる(監督のツイッターとか見ても『呪詛』グッズとかやってるし…)ことである点は、前述のような既存の気持ち悪い用法に対する「対抗ミーム」として非常に高く評価できるかもしれない。ちなみに、監督のツイッターを見ると、結構日本のアカウントをリツイートなどしてるようなのでそのような用法を把握していた可能性は十分にある。