ゲーム感想:The Cosmic Wheel Sisterhood

The Cosmic Wheel Sisterhood 感想

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若干ネタバレあるかも


なんだかんだ、SCPのサイトに書かれたいろいろな文章のなかで印象深いのは、SCP-001提言「ケイト・マックティリスの提言 - 記録/レコード」の最後。(とはいえ、最も美しい文章をあげるとすれば、やはりSCP-6002になるだろうけども。)こんなクソみたいな現実世界から早く別のところに行きたいという感情、それこそが超越性の意味ではないか?それさえあれば、避けられてきた「最強SCP」みたいなものでも、最高のインターネット文学作品になり得る。

このゲームの章「魔女の作り方」の最初のほうも、そんな詩情を強く感じる。


やっていって思うのは、このゲームには、非常に高度な形で「あらゆる選択に対して、その帰結や発展がプログラムされているのではないかと思わせる技術」が駆使されていると思う。ただ、単なる技術的なものにとどまらず、しっかりとコンセプトとしても成立しているのがすごいところだ。

ファンフィクっぽいとネットのどこかで言われていたが、この作品はある意味で「ファンフィクの逆転」なのではないだろうか。「ファンフィクの逆転」とは単なるオリジナルのことではない。「二次創作される前の、そこから無数に広がって枝分かれしていく可能性を自覚した」オリジナルのことだ。作品を「完成」させるために描かなくてはいけないことをあえて描かないというか。読者がそこから派生させていろいろと想像することのほうが作品のメインの部分になっているというか。


このゲームは、いろいろな方向性から「選択の倫理」を問う。友達のためにピザを作ってあげるところとか、突如として今までとは全く違うやり方で問われることもある。「選択の倫理」自体は、物語性のあるゲームの永遠の命題というか、とても古いテーマではある。自分の選択が世界のあり方自体を動かす、さあどうする、というのが、「セカイ系」と呼ばれる作品たちの原点でもある。

ただ「セカイ系」の問題点は、それがあまりにも現実離れしていて、現実の事象を呼び起こす力が弱いことだ。ただ日本の文脈で言えば、戦争、総力戦体制の暗い影から生まれる、プロパガンダとしての「あなたがこのセカイの主役だ」という植え付け、日常の中の戦争、その時間的な感覚を表現すること(アニメとゲームがそれに最も適した媒体といえる。)とか、朝鮮戦争をはじめ、戦後もいろいろな戦争に経済的に加担してきたこと、そして未だにある経済成長に水をさしてはいけないといった雰囲気の中で、それを明示することはできず、隠さないといけない自己検閲のようなことであるとか、そのような引き裂かれた中でなんとか出された一つの答えなのだとは思うが。

翻って本作を見ると、ある種ファンタジックで現実離れした(それこそ「ファンフィク」あるいは「夢小説」のような)「選択」のレイヤーと、より現実的なテーマ性にちかい「選択」のレイヤー——たとえばセラピーの倫理——がうまいこと重なり合っている。ただ今まで述べてきたように、ファンタジックなものでも、そこには現実の深い影があるし、このゲームは幾度となくそれを呼び起こす。


このゲームの真骨頂は、「セラピーの倫理」と「セカイ系の倫理」の重なり合いだと思う。このゲームの中の会話は、常に危うさを持つ。どこまで具体的なことを言えばいいのか?自分の言った発言は、ただのアドバイスなのか、それとも他者の人生をいいように捻じ曲げてしまっているのではないか?でも自分の言葉で他者を救うことができれば、それはそれでいいことなのか?そこに、主人公の魔法の能力みたいな話が加わる。

言葉の持つ、現実を捻じ曲げてしまえるほどの力。このゲームはコロナ禍の間に開発された。ドナルド・トランプ、膨大な量のデマ、言い続ければそれが真実になると言わんばかりの態度の全球的な蔓延、、、そのなかで少しの救いを手繰り寄せていって作ったように思う。