人々が自ら道を切り開いていくためのデータサイエンスが大事!決して、人々を群体としてドゥルーズ的に管理するためにデータサイエンスをしてはいけない。
https://note.com/shinkai35/n/nc32d37d5bded
やっぱ日本思想ってほんっっっっっっっと面白いよなあ……「ネットワーク」の考え方も、本来は、だからこそそういう見えにくい権力にどう対抗していくか、という話だったのに、それをもはや権力はない、って話に見事にすり替える…江戸、明治とずっと似たようなことをしているような気もするが…
文脈的情報世界構想
コードのレベルで正義が達成されるように設計するというか… 落合陽一の計算機自然や魔術などのパワーワードも正義の文脈の中に位置づけられるべきである
保険証廃止説
インターネットに接続できる能力を持たない人だけではなく、その時々の状況でアクセスできない人までも排斥する酷い仕組みだよね…
ニーチェとマルクスですこーし共通しているのは、「責任」を発明して、一つの対象(例えば神)に全ての理不尽なことの原因を押し付けるということが、社会をより良く変革するのには上手くいかないとなった時に、じゃあどうやって実際に社会を変革できるのか、ということを考えている点かもしれない。資本主義の内部矛盾というのは、つまり理不尽なことの中にも、実は微妙にというか神妙にというか、より良い社会へ繋がっていく道筋みたいなものがあって、それを手繰り寄せていく(つまり社会をハックする)ということなのではないか?
https://mobile.twitter.com/teramat/status/1492490218523410437
手厳しい意見ではあるが…そもそも本来はテクノロジーを作ることと使うことは同じであるはずで、それが分けられていることがおかしさがあり、さらに、作るのは男で使うのは女というふうに対応づけられているのもおかしい。二重のおかしさがある。
Civilization の面白いのは…
それが「西洋的文明観」のパロディであるだけでなく、地域や文明とか社会とか民族とかの、その中でも特に(オリエンタリズム的に)流布された様々な固有性が、全てユニークスキルやユニークモディファイアとして、パズルゲームの一要素に転換されているということだ。(こういう条件の時にこういうリソースを産出するみたいな)→固有性を表現しているようでいて、実は固有性を否定している!!!
DeepLearningも、プログラムも、実数も、なにもかもKan拡張だなあ…
StarGANのcycle consistencyとかまさにKan拡張だよなあ…
YコンビネーターもKan拡張だしね…
(Kan拡張がなんなのかよくわかってないけどつぶやいてみる)
特定の構造の繰り返しを、いかに簡略化するか…プログラミングの基礎の一つ
プログラム中心主義(あくまでプログラムの繰り返しで表現したい。もちろんプラクティカルには、繰り返した同じ内容のプログラムには実行ファイル上では同じアドレスが割り当てられる。)→関数型言語(Lisp, Haskell, Rust, etc…)
→でも、ネスト構造が出た時結構面倒くさい→マクロで解決 (Rust, Lisp)
→でもそういうめんどくさい場合に共通するパターンって、モナドなのでは???その場合はマクロなんていらないのでは?→モナドに対するシュガーシンタックスを設定、型に対してモナドであることを宣言させる(Haskell)
データ中心主義(変化するステートを持ったオブジェクトにプログラムを制御させる。ステートが変わるとプログラムの動き方が変わり、それによってステートの変わり方も変わる。これはまさにモナドの構造と同じ。)→OOP(JavaScript, Java, etc.)